22.教育とは(いじめ)

今、学校教育指導で一番問題になっていることだ。 又、そのため登校拒否という問題も発生している。

どうすれば解決するのだろう? ひとつの理由に学校の先生達がだらしないのもある。

最もそうさせているのは 盲愛利己主義的な親達、体裁ばかりをとりつくろう

教育委員会それに、マスコミや世間などの異常な体罰批判ということもある。無論、過ぎたる

体罰は絶対に良くないが (分かっているのか!)ゴッツン ぐらいの拳骨は愛のムチという

ぐらいに理解してほしい! 俺いらは稽古中 ふざけていたり 他人の邪魔をしている者には 

痛い一発の拳骨をやる。子供達は「押忍!ありがとうございました!」と云う 言わせてる^^

嬉しいじゃありませんか 拳骨やっても (ありがとうございました)とお礼を言ってくれる。

大人の眼から判断して悪いから怒る 注意する。先生は何もしない者を怒りはしない。確かに

口で指導すれば解る!という人の意見もある・・・が そう云う人の意見には申し訳ないが

何回注意しても解らんヤツにはささやかな 愛のムチも必要だ。

体罰そのものが問題になるから 先生は口でちょっと注意する程度の指導となる。

そこで登場するのが自己中心でしか物事を考えない家庭の中で育ったヤツ、先生が怒らないから

怖くない。逆に先生をなめてかかるヤツ。調子に乗る。 それが外の子へのいじめに!

いじめられっ子は迷惑して泣きべそかいているのに誰も味方がいない。先生も頼りにならない。

仕返しが怖いから誰にも相談できない。学校が面白くない 行きたくない・・・となる。

いじめられない為にいじめっ子の機嫌をとらなければならない。大事なおもちゃを取り上げられる。

小遣いをせびられる。使い走りをさせられる。子供ながら人生のゆきづまりを感じて、時には

恐ろしい悲劇がおきる。 そんな時強い味方の頼りになる先生がいたら少しはましかも知れない。

俺いら達の子供の頃、やはり 悪戯をして すごく怒られた。先生からは 赤いみみず腫れが

残る位 ほうきの棒でおもいきり尻をぶっ叩かれた。 野球のバットを膝の裏に挟まされ正座を

させられた。凍てつく冬の日、バケツに水を入れそれを頭上で支え持たされ 裸足で霜柱の上に

何時間も立たされ反省を求められた。自分が悪いのだから親にも云えないない。親に話しても

「お前が悪するからじゃ!」の一言 情けのかけらもなかった。

あの厳しかった先生の顔、あの痛み、今でも忘れない。むしろ古き良き思い出 感謝 感謝である。

学校の先生に もっと強くなって欲しいのだが・・・先生も強くなりたいのだが なれないのだ!

それは盲愛で我が子が可愛いくて可愛いくてたまらない、何でもかんでも学校のせい、他人のせい

にするモンスターと云われる親達がいるからだ。 いじめっ子の大半は家庭環境、家庭の躾、子育てにある。

親子のふれあいでも云ったと思うが 子供達にとって何んでも云うことを聞いてくれる親、何も注意文句言わない親、

欲しい物を何でも買ってくれる親、が 理解のある親だろうか?・・・違う! 時には 我慢を教えて

くれる親、、ダメなものはダメ、、悪いことは悪いと叱れる親 それが本当に子供のことを思う親だと思う。

子供の話を聞こうとしない親達、暇さえあればパチンコ通い、カラオケじゃ、晩酌じゃ

で酒に酔っぱらって人生を説教してみたところで、そんな親を誰が尊敬するの?

テレビに映る 暖かな家庭、それに比べて俺の家は?・・・となり その心のひずみが他人に向っていく。

ひどくなると「親なんか クソ喰らえ~」と。終いには「好き好んで生まれてきた訳じゃねぇ~」

の台詞まで飛び出す始末、ある中学生の親「向ってくるんですわ!」と子供にビビッている親も。

(他人に迷惑かけるなよ!)(自分がされてイヤなことは他人にするな!)とか何が良くて何が

悪いとか語り合うことが必要だ・・・の中でつまらん事でも一生懸命相談にのってやる。

子供を教育するのには まず親が手本を示さなければならない。親がつまらんければ

子もダメになる。反論もあろうが大体間違いない! そりゃ 皆自分の子は可愛い。だが

その子供を強いたくましい子供としての成長を願うなら 厳しい躾の中に優しい親子のふれ愛を!

夫婦仲の良いところを見せる。いつでも頼りになるカッコいい お父さん お母さんでいて欲しい!

親の言う事をよく聞く素直な子にいじめっ子はいない。いじめの問題は まず 家庭の子育てから!

そして 先生達も ちぃ~と気合を入れてよ~!

それがいい それがいい