王統流創始者 玉得博康
玉得博康先生は1906(明治39年4月21日)沖縄那覇で生れ幼少の頃より父に那覇手の手ほどきを受け、後に大浜賢吉について、本格的に棒と手の修業を始められた。
成人されて教職に付かれた時に、同じ教職で沖縄空手の拳豪 城間真繁に首里手の奥義を学ばれる。
戦後、(昭和22年)琉球から群馬県に移られ中学校の教師を務めながら空手の指導、日本空手道普及会を発足される。
昭和39年 全日本空手道連盟が結成されるが、同じ頃 東京荒川区に移り、荒川道場、墨田道場を開設して指導にあたられる。当初 空手に流派は不要という考え方から首 里手とだけ云われていたが、本土の空手が全て○○流と名乗っており、先生も空手は琉球王家を守ってきた武術という観点から王統流を名乗られる。
全日本空手道連盟の初代元老、中央資格審議員、全日本練武会最高師範、日本空手道普及会々長など等の要職を歴任され、享年1985(昭和60年)5月2日、79歳で亡くなられ、宮崎市糸原の墓地に眠られる。