38.拳二郎の挑戦

ルルル・・・ ルルル・・・電話のベルが鳴る。

父が危篤と云う。田舎へ帰らなければならない。そんな時も時、妻は出産の予定日である。

先ほどより何となく お腹の調子がおかしいと訴える。妻を妻の実家へ帰し 私は私の実家へ帰る。

父死す。通夜 葬式も終わり、その後始末にホッ!とすると間もなく妻が男児を出産との連絡が入る。

運命と云うのでしょうか おかしな話である。父が死に 一方では赤ん坊の誕生である。

その児が我が家の次男坊 拳二郎(通称 ケン)である。その拳二郎の話です。

父の職業が空手道場の先生ということで、ケンも小さい頃から夕方になると空手の稽古衣を

着せられて(多分イヤイヤながら・・?)道場に引っ張り出された。

親の欲眼で見れば 蛙の児は蛙 技と根性は中々良し、ところが同級生では小さい方であった。

ポイントの寸止め空手の試合なら、あの感と反射神経 そしてあの技なら多分優勝することも

あったろうが(それまでの実戦フルコン大会 準優勝、ベスト4までは勝ち残るのだが優勝ができない) 

今でこそ 防具付試合 寸止めを採用するようになったが それまでの少林寺会館の試合規定は

実際に当ててダウンさせる試合で そうなると体格のあるのも技のうち、やはり体格の大きい方が有利

であることは否定できない。 だが 孫子の兵法じゃないが 体力が劣れば技で 技が劣れば智で 

と云う諺がある。ケンの場合劣っているのは体力だけなのだ。

中学2年の時である。2年に一度の空手道選手権大会が開催されることになり、重量級、軽量級と

選手が振り分けられ、どうしても人数の都合で 重量級から井上と云う中学3年生の選手が一人 

軽量級へ下りてくる事になった。 役員の選手係も、その井上選手をどこへもっていくかで 頭を痛めていた。

私も丁度そこへ立ち会っていたので 中々決まらないのを見かねて、

「どこでもいいが 早く決めろよ! いつまで時間喰っているの!」と云ったのである。

「館長!早よ決めろと云われても 館長だって この井上がケンちゃんの相手になったらイヤでしょうが!」

と役員のひとりが言った。

「イヤも何も、もし決まったとしたら それで しょうがないじゃろうが!」 すると

「よし それじゃここにしよ これで決まり!」 売り言葉に買い言葉である。

「いいのですか?」と他の役員が 気を使ってくれた。

立場である。いくら自分の子が可愛いくても 文句は言えない。そんなやり取りの中

軽量級で一番チビのケンさんは、重量級から下りてきた 井上選手と一回戦で組み合わされてしまった。

「ケンちゃんは 実力があるから丁度いいんじゃない!」

「うん 面白い勝負になるねぇ」

「しかし ケンちゃんも最近実力が落ちとらへんか!」 外野は言いたい放題である。

ケンの相手 井上選手、身長差だけでも18cm しかも上級生だ。 大人になれば年齢など

あまり関係ないが 寸止メ、防具付と違って実戦フルコンとなると 小 中 高学年の場合、1学年違うと

大きな ハンディがある。

いくら親が空手の先生と云っても、これは大変なことである・・・が 決められたことは 

決められたである。 背水の陣 戦うだけである。

「ケン! 今日 大会の組み合わせが決まったど」

「えっ! 僕の相手は誰ね?」

「井上慎一ってヤツよ」

「そいつ 強いとね?」

「それは分らんけど 人数の関係で調整するため重量級から下りてきたヤツよ。それでな お前と

身長差が18cm違うとよ」

「18cm! そんな違うとね」 やはり驚いているようである。

「しかしよネ ケン! 優勝しようと云う者が 体の大きい小さいは云とれんやろうが・・お前にとっちゃ 

この一回戦が山よ。この1回戦 勝った方が優勝やネ」 と励まし更に話続けた。

「けどな ケン! 今のままでは おそらくお前は負ける! 試合まで後40日間ある。今からでも

遅くはない。俺の云う通りしてみろ。それは 今日から風呂に入る前30分でもいいから 毎日

サンドバッグを蹴れ! それが終わらんと晩飯も食べられん そんなつもりでかかってみよ!

えっ?どうや!」 「うん!」

「その代わり、もしお前がその第一回戦だけでも勝ったら 俺がお前に賞金1万円やるわ」

その頃 お小遣いが 3,000円だったと思う。 その話を横で聞いていた お母さんが・・・

「ケンちゃん! じゃ 私 あんたが2回戦 勝ったら1万円あげるわ!」

「それ 本当ネ!」 となってしまったのである。

その時、私の東京の姉から電話が入り 雑談のあと 話が空手大会の話になり 賞金の話をすると

姉は大笑いしながら ケンに電話を変わってくれと云う。

「あ、モシモシ おばちゃん!うん・・・うん・・・うん・・・わからん・・・うん

本当ネ!・・・うん・・・うん・・・頑張ってみるわ! うん バ~ィ!」

話を聞くと、この うん うんの返事の内容は ケンが優勝できたら 東京のおばちゃんも

1万円くれる・・・ということになったのである。 つまり ケンは優勝すれば3万円の賞金を

褒美を貰えることになった。 いずれにしても戦かわなくてはならない!

その日から、ケンの特訓が始まった。 特訓と云っても 何も教えない。 只、サンドバッグを蹴れ!

それだけである。 その特訓は学校から帰ると毎日続いた。 初めの頃、道場から聞こえてくる

サンドバッグを蹴る音が パタン! パタン!と大きく聞こえていた。ところが・・・である、

その特訓も、十数日も過ぎた頃だったと思う、音が ドスン! ドスン!とにぶい音に変わってきた。

どうやら ケン コツを掴んだようだ。 私が道場に顔出してみると、ケンパンツ1枚に

ビッショリの汗、その姿は空手マンというよりキックボクサーの姿である。

締まったサンドバッグの底は堅い! 多分素人なら一発で悲鳴をあげる

(今はクッションが入っているが その頃のバッグの中は砂袋だった)

それを連続して何発も連続して蹴り込むケン! 運命だ。 空手の先生の息子に生まれたばかりに

他人が注目する。無様な負け方は出来ない。勝って当たり前である。他の選手からも目の敵にされる。

11月3日(文化の日)選手権大会の日 いよいよ 今日までの40日の特訓の成果が試される日である。

(白、長谷場拳二郎・ 赤、井上慎一) 呼び出しの声。

「押忍!」 2人はコーナーの中央に進み出た。

(ケン先輩 お願いしま~~す)(井上 遠慮すんな!) 声援が湧き上がる。

(勝負1本始め!) ドン! 

太鼓の音に弾かれた様に、2人は正面からぶっかった。 

ぶっかった瞬間、ケンはバランスを崩し スリップして尻もちついた。やっぱり体力の差があったのか?

更に、そこをすかさず 井上が突進して蹴り込もうとした・・・が 身のこなしの素早いケン

サッ!と体をかわし 体勢を整え、その出足の太ももに バシッ!と一発目のローキックをぶち込む。

バシッ! バシッ! ドスン! ドスン! 2人はパンチとキックで応酬し合う。 背高のハンディで

上から打ち下ろす 井上のパンチ。 肉を切らせて骨を砕く戦法にでる ケンさんのロークック。

観ている者に映る二人の姿は まるで軍鶏のケンカ。 その時!

バシッ! 風を切ったケンの ローキックが 井上の足を捕らえた。 効いた!

わずかに井上の顔がゆがみ、よろめいた。 よろめきながら下がる、間をとろうとする。

今だ! ケン 連続ヒットを狙うが 井上 同じ轍は踏まじと膝を上げてガードする。

そうなれば 攻撃も防御もへったくれも無い! どこでも当ったところが急所よ!と骨と骨の

ぶっつけ合いである。 犬の喧嘩じゃないけど キャン!と鳴いた方が負けである。

井上の足が重い。ケンさんのキック 効いているのだが 極めつけの一発が決まらない。

ケンあせる。わずかな劣勢ではあるが 井に上もプライドがある。 クソ! 年下のこいつに負けたら

俺の男がすたる! ローキックに見切りをつけた ケン 一瞬の隙をついて 中段前蹴りを井上の

腹にぶち込んだ。 ウッ! 井上 前かがみになるが 倒れない。今だ! 更に追撃をとケンはあせる。

ケンの蹴りを受け 井上 その苦痛を我慢し 身体で受けてタックルにでた。 縺れ込んだまま

場外に転がり出る。 

(止め!)審判から中央に引き戻される。 (続行!)

イヤ~ッ! ケン 奇声を発し飛び込む。 又、2人は抱き合う。 どちらも抱き合ったまま

引き倒そうとする。 試合でスタミナの切れた選手達が よくやる行為だ。 観ている者には

相撲か レスリングか 柔道か ケンカか と思われる場面が展開される。

審判が止め と云うまで 突いて良し 蹴って良し 投げて良し 掴んで良し タックルしても良い

何をしてもいい ルールだから これは許される。これが実戦空手の醍醐味なのだ。

審判が2人を引き離す。ゼーゼー ハァハァ 2人とも もうフラフラだ。(続行!)

又 ぶつかる。 こうなれば あとは我慢か スタミナか根性だけかの勝負だ。 まるで

決勝戦と云ってもおかしくない勝負が展開している。

ドン! 時間切れの太鼓の音。2人は引き離される。 試合は判定に縺れ込んだ。

(判定!) 主審の声! すかさず白旗が4本上がる。

主審の判定は (白の勝ち!)

ワァ~~見学者席 味方チームから拍手が沸く! 結果は出た。

倒せないまでも 誰の目にもケンさんの勝ちであった。

しかし 負けたとは云え あの ドスン!ドスン!の特訓のローキックをくらって倒れなかった

井上もさすがである。あの40日間の特訓がなかったら 今日の勝負 おそらくケンは 負けていたかも!

まずは賞金1万円也をゲット!

2回戦に進む前の休憩時間の時である、

「先生 ちょっと見てください!」 親子でも弟子と師匠である。

ケンがびっこを引きながら 私の処へ来た。

「何? どうしたの?」

ケンが稽古衣のズボンをたくし上げると お見事! 向こうスネが 赤くすり切れ

黒ずんで 大きく 2段 3段に腫れあがっているではないか! 見るからに痛々しい!

私はケンが 何を云いにきたか解る! 2回戦からの試合どうしましょうか?・・・と

云いたいのであろう。これが他人の子だったら (次の試合は棄権しなさい)と答えただろう。

自分の子と他人の子を区別するのか!・・・と云われれば それまでのことだが このような場合

そこが立場の難しいところである。

「2回戦からのことやろ? さぁ それはお前が自分で決めろ! 棄権もよし 出場もよし

それは自分で決めろ! もし 続けるとなれば まだ時間もあるし そこを充分冷やし 包帯を

しっかり巻いておけば・・・・けど 無理はするな! 只、試合を続ける続けないは自分で決めろ!」

「押忍! 分りました!} びっこを引きながらUターンして行く ケ! どうするのだろう?

居た! 2回戦 3回戦と その勇姿を! さすがにその後、ローキックは あまり使わず パンチ

ひざ蹴りで相手をダウンさせ 全部一本勝ち。優勝の栄冠を初めて手にしたのである。

あの ニヤリと笑った あの顔が 今でも心に残っている。

後日談だが 私とお母さん 東京のおばちゃんは 約束通り皆1万円づっ出すことになり ケンは

金3万円也を手にし CDラジカセを買ったようである。

こんな話もありました。

ケンが 中学3年の2学期の11月頃のことだった。 中学3年生と云えば 正に受験戦争の

真っ只中、我が家では未だに進路が決まらず、と云っても 私は父親として ケンの進路は

決めていた。 それは長男の兄と同じように海外留学!・・・ところがケンは彼なりに高校は

日本でと心深く望んでいたようだ・・・が・・・厳しい父にその事が言えず 一人で悩んでいたようだ。

迫りくる日々 如何にすべきか!と云う時に 学校に於いて三者面談があることになった。

その時の話はこうだ。

「私のクラスでは、もうすでに皆 進路が決まっているのですが 拳二郎君は どうするつもりでしょうか?
  
今日は お父さんのご意見もお聞きしたくて来ていただいたのですが お宅では どの様に考えて

おられるのでしょうか?」

「その事は 前に家庭訪問の時 お話しましたように 親としては もう決めています。 まだ 本人と

決定的な話はしていませんが・・・」

「お父さんの気持は よく分かりました。ところで拳二郎 本当のところ お前はどうなんだ?}

「・・・・・ ・・・・・」

「黙っていては分らんやろうが! お前 お父さん お母さんに自分の意見を聞いてもらったのか?

お前はお前で どうしたい!と云う希望があれば 今ここで お前の気持を言ってみろよ! エッ?」

「日本の高校へ・・・」か細い声で答えた。

「そうか! お父さん聞いての通りです。 本人は日本の高校へ行きたい! お父さんは外国留学、と

意見は分れている訳ですが、私としてはどちらに味方すると云う訳にもいきません。お父さんの意見も

とても素晴らしい考え方だと思います。 こんな考えを持った親は そうざらには居ないよ 拳二郎!

だがな お前の考え方も一理ある。 しかし 云わしてもらえば この偏差値から云えば お前の

公立高校入試は危ない! 今のままでは 多分 不合格だよ。公立は無理だ。 ま お父さん こんな

ところです。 高校は私立もありますから もう一度 いろいろな角度で 親子で充分話合ってください。」

と まぁこんな話に! 偏差値? 何んだそれ? 私には何の事だかさっぱり分らない? 要するに

拳二郎が今の成績で受験しても県立の合格は難しいと云う訳だ。 薄々ケンの気持は分っていたのだが

信念と云っても 私の考えが必ず正しい訳でもないので将来ケンが親である私を恨んでも困る。

「俺には話しにくいかも知れんな お母さん! 俺はケンのためと思っているのだが・・・・

あんたには何でも話すやろ。 ケンとよく話てみてくれ。」

「あれからケンと いろいろ話したのですが 本人は高校だけは やはり日本で!・・・と云う気持が

強いようです。そして高校卒業したら お父さんの云う通り海外へ・・・と云っていますが どうしましょう」

「そうか!ケンを呼んできてくれ!」・・・・

「ケン! 学校でも 今 お母さんからもお前の考えを聞いた。 けどよ 先生も云ったやろ、今の

お前の成績では 県立は無理だって! いったい何処の高校へ行きたいんだ!」

「宮商の国際経済科へ」

「国際経済科? そんなのがあったか?」

「あるんですよ! 何でも3年ぐらい前に新設された学科で 人気も競争率も高いそうですけど・・」

とお母さんが 答えた。 考えた末 私はある条件と結論を出した。

「ケン、じゃこうしょう 受験は認める。 但し条件がある。受験は その宮商の国際経済科1本だ。

私立のすべり止めは認めない! もし その受験が失敗したら 今度はおとなしく俺の云う外国留学。

その条件で どうだ?」  「うん 分った!」

その時 私は心の中で思った。 どうせ不合格だ 先生も偏差値が何とかで県立は難しいと云っていた。

この勝負は私の勝ちだ。 入試まであと3ヶ月 どんなに頑張っても無理な話だ。

その日からケンの猛勉強が始まった。多分 夜中の2時、3時頃まで頑張っていたと思う。

部屋を覗くと その部屋はノート、参考書で取り散らかして 見るも無惨 普段の私なら

「部屋を片付けんか!」と怒鳴るところだが入試が終わるまで黙っていることにした。

そんなある日 「お父さん 今日は私立高校の試験日なのですよ。ケンの友達など皆 受験しに行って

多分 受験しないのは ケンだけですよ」

「そうか 今日は私立の試験日か。入試のその雰囲気を味わうためにも 試し受験させればよかったな。」

私も父親として その時だけは正直 そう思った。

・・・それから何日かして・・・

「お父さん 明日 何んの日か分りますか?」 「明日? 何の日なの?」

「本当に仕方のない人ですねぇ 明日は県立の入試日ですよ!」 

「えっ 明日や!」 親父は万事こんな調子である。

発表の日。

「ケン 見に行ってやろうか?」

「いいよ 自分で行くよ! どっちにしても9時30分頃 電話するから・・・」

と云ってケンは 発表見に出かけた。 9時30分過ぎても電話のベルが鳴らない。

「やっぱり ダメだったのだろうか?」 お母さんは落ち着かない。

そりゃそうだ、今日の結果でケンさんの人生が変わるのだ。

9時40分、電話のベルが鳴る。

(合格!) 一発勝負の見事な合格だった。

ケン 晴れて宮商国際経済科に入学したのである。 

高校に入学 しばらくして実力テストがあった。 その実力テストの一覧表を持って帰ってきた。

国際経済科は2クラス98名 その一覧表には成績の1番から15番までの人は名前が書いてあり

それから後の人は 赤い線の印だけ。ケンのは17番目に赤い印があった。

総合点からすれば あと6点頑張れば15番目に 長谷場拳二郎と名前が掲載されていた筈だが

残念無念! 1番から15番まで全員女性だった。

「ケン、お前 あと6点頑張れば ここに長谷場拳二郎って名前が掲載されてカッコよかったのに・・・

・・・皆 女ばっかしや!」と云いながら私は15番目を指した。ケン 二ヤッと笑った。

それから何ヶ月かが過ぎて、2回目の実力テストがあった。

「お父さん ケンが成績表持って帰っていますよ 見ますか?」とお母さんが云った。

見ると 何んと7番目に 長谷場拳二郎・・・と今度は名前が書かれているではないか。

普通科の進学校ではないと云われれば それまでだが 中学3年の11月 あの三者面談の時の

ことが思い出される。 絶対 公立への進学は無理だと云われた 息子 拳二郎 いったいどう云う

頭しているのか? (合格しなければ 俺は外国へ行かされてしまう。将来のことは分からないが

今は まだ行きたくない。」 と云う精神から生まれた努力の結果だったのだろうか。とすれば

その努力は認めざるをえない。 学校からの連絡表には

(男性ではトップです 今の調子で頑張ってください)・・・と書いてあった。

私は たかが学校の成績で人間の将来が決まるとは思ってないが 人は(やる気をだせば)ある程度の事は

と云う意味で書いてみた。

これは 空手道選手権大会、高校入試 この二つは 負ける ダメ と分っていた事へ挑戦して見事にクリァ

した息子拳二郎の話です。たまたま結果がそうなったのかも知れないが あらためて努力という意味を

考えさせられた。 最近では進学のため 熟ばかりにたよる親 子供達を他人ばかりに任せず いま一度

子供を よ~く観察して 何よりも自分から やる気を起こさせる作戦を考えてみるのもいいかも!

余談ではあるが このケンの自慢に 小学1年生から 3年生までの3年間 どんなに寒い日でも

袖無しの ランニングシャツで学校へ通いとした 実績もあります。

(友達に負けたくないから)たったそれだけの理由で・・・・

それでいい それでいい